青雀の散歩未知

未知なる日常のあれこれ綴り。

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ジョーイ・ロット氏の本『これのこと』 レビュー 




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これのこと(ブイツーソリューション) ジョーイ・ロット (著), 古閑 博丈 (翻訳)


読み終えました^^
遅くなりましたが。

アマゾンでは、当初4/10に発売開始だったのに、急遽今日4/5発売に早まっていたようで。
それでこの記事にリンクを貼るためにアマゾンにアクセスしたら、もう在庫がなくなっているもよう。。
すごい人気ですねー^^

えーと、実は困ってます。
というのは、なんというか著者のジョーイ氏の言わんとすることに関しては
まさにこのまんまの「これ」のことですが、基本的にどこもひっかかるところがないし、まさにその通りだし
「あれは雲だよね」「うん雲だね」でおしまい的な感じなので。
でも考えてみれば、ここまでストレートに理屈っぽくなくスッキリと表現できるのは
かなりの表現力なんだと。

それと本全体の構成。こっちが気になった。すばらしい。
「真理探求」と呼ばれるプロセスで陥りがちで、かつ勘違いしがちなポイント。
つまり「痛いところ」。
(どちらかというと探求者が痛みを自覚しているところではなく、自覚していないがゆえに見ていて痛いところ)
を見事に網羅していて、それを一刀両断みたいな(笑
ここがストレートな気持ちよさに繋がっているのかなと。

「探求」を愉しんでいる人には向かないかも。全否定に近いものがあるからね。
でも、「探求」それ自体の正体を顕にすることに関心のある向きにはこの上なく爽快な本だと思います。

それと、ジョーイ氏の経緯。そうとうな苦しみを経過してきたんだなーと。
僕はたぶん彼ほどの苦しみは経験してないので、彼の当時の状況を表面的にしか理解できてないと思う。
当時は大変だったね。今楽になって本当によかったね、っていう感覚が湧いてきた。
ありとあらゆる探求を心身が限界に達するまでみっちりと経過してきたからこそ生まれてくる言葉なのかなと。

イメージや知識を超えて直接ハートに響いてくる肉声のような文章。
表現というよりも響きそのもの。
ここはヒロさん翻訳だから、というところもかなり大きいと思う。

それで唐突だけれど、ジョーイ氏にメッセージを書いてみた。
まるでテレビでよく見るアメリカ人のような口調になっているのはご愛嬌。。

------------------------------------------------------

ヘイ、ジョーイ。
これは君にあてた本の感想だ。
大変だったな。
本当に大変な思いをしたんだな。
君の苦しみのことを思うと、涙が出てくるよ。
僕は君ほどに大変な思いはしちゃいないけど
君が様々に探求した経緯は、まるで自分のことを書かれてるのかと思うほどよくわかるし
その結果、君が気づいたこともよくわかる。

それにしても、君の切り口と表現は見事だ。
探究プロセスで皆が心底ひっかかっているポイントをよくもここまでピックアップして網羅したもんだ。
これは翻訳したヒロさんの力量もあるのかな?

しかしすばらしい表現者だな君は。尊敬する。
おそらく君は、君がかつてそうだったように探求で心身ともに疲弊している人々に向けて話しているのだと思う。
きっとこの本は心を打つと思うよ。
君の優しいエネルギーがかなりの破壊力でほとばしっている。

僕はもうこの手の本は読むことはないと思う。
そしてこの手の話もしなくなると思う。
終了。
君がここまではっきり言ってるのに、あと何が必要?
なにもない。

君がこれからもずっ~と君らしく生き生きと過ごせることを祈ってるよ。
ありがとう。

aosuzume

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つぶやき 







サンマルクカフェのバターデニッシュが食べれなくなった。。
残念。。 朝の愉しみだったのにぃー。
先週くらいからかな。突如棚から消えていた。
店員さんに聞いたら、午前11時からのメニューになったので朝は出さなくなったとのこと。。
毎朝窓側でめっちゃ嬉しそうに食べてたあの推定46歳の白人男性も、きっと悲しんでるに違いない。。

なんだか火山活動が活発化しているみたいですな。
今年は大地も動いてるんだろうね。
東北の震災以降、あれがきっかけで動き始めたのだろうか。。

身体って「エネルギーだまり」のような感じ。
エネルギーが溜まりやすい。というよりも、エネルギーが溜まってるから身体なのかも。
溜まる構造じゃなければ身体という体(てい)をなしてないかもね。
今年は、正月あたりから微振動つーかバイブレーションのようなものを感じることが多いのだけど、大地の活動が活発化しているのと共振してるのだと思う。
大地も古いエネルギーを身震いしながら排出してるんじゃないかな。そういうタイミングのような気がするね。
連動して身体も同じように古くて滞っているエネルギーを活発に排出していると思うな。
今年は体調を崩すことが多いし、日常の動きもなんだかめまぐるしいし、いろいろぶわぁーっとなるんじゃないかな。
こういうときは、心身の緊張を緩めてお気楽にしてたほうが抜けやすいかもね。

緊張と言えば、人が本気で怒っている時の顔って
本気で恐怖しているときの顔と同じなんだなーと思った。。
怒りって恐怖なんだな。
そんで恐怖って深い悲しみの反動。
深い悲しみの奥底は「せつなさ」で
せつなさはやさしいエネルギーだと思う。





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ただそのままでいるための超簡約指南 



20141012.jpg
ただそのままでいるための超簡約指南(覚醒ブックス) J・ジェニファー・マシューズ (著), 古閑 博丈 (翻訳)



ヒロさんの翻訳本が新たに出版されました。(ヒロさんのブログはこちら

思い起こせばヒロさんとブログ上でちょこちょことやりとりがはじまったのは2010年くらいだったかな。
僕が写真をやりはじめた頃と同じタイミングだったと思う。
写真をまじめにやってみようと思ってシグマのDP2Sというちょっと高いカメラを買って、そのカメラではじめて撮影した写真をブログにアップしたとき(もう消してしまったブログ)、ヒロさんが嬉しいコメントを入れてくれたことが思い出される。うるうる。
そのころの、ヒロさんは、まだ翻訳本は出されてなくて、ブログでセンスの良い翻訳文を次々とアップされていて。
まあでもこの力量ならばいつか出版社から声がかかっていずれ本が出るだろうなぁと思っていたら、やっぱり出た。
昨年7月。「ユーフィーリング!」という本。これは読んでないのだけどね(詫
それから、あれよあれよとわずか1年ちょっとの間に、もう5冊目!パワフオー!(ちなみにヒロさんの翻訳本リストはこちら
ヒロさんの翻訳センスの素晴らしさは、もういろんなところで語られてるので、書かない(笑

さて、前置きが長くなりましたが、この本!
そーいえば、最近ヒロさん釣りにめっちゃ凝られているようでなんか愉しそうです(笑
釣りと言えば。。。とかジラシたくなるのはなぜ?

ハーディングさんは、指1本で「これ」に気づかせる。
マシューズさんは、本1冊で「これ」に気づかせる。


超簡約で書いてみた(笑

「実用書」と言いたくなるような、エッセンスだけの本とも言えるかも。
なんか不思議なんですよね。
この本の感想は、あまり書きたくない。
それはネガティブな意味ではなくて、余計な言葉を加えたくない感じがするのです。
獲れたての新鮮な魚は、そのまま刺身にして、ちょっとだけ粗塩つけてそのまま食べたい。
素材の味を別なもので邪魔したくない。そんな感じ。
まあ、僕が感想を書いたところで味が変わるわきゃないのですが(爆
でも、そういう「無垢さ」を感じさせる本。

女性独特のしなやかで親近感があって、でも論理的でアメリカン?なユーモアがあって
それでいて途中すっ飛ばしてドストライクを突いてくるような?
いくつかドストライクの文をピックアップしようかと思ったけど止めました。

ヒロさんもあとがきで書いてたけれど、非二元系で使われやすい比喩とか言葉があまり出てこないのでいいですね。
そのままの事実が書かれている印象。
でもよくよく考えれば、すごくクリエイティブな表現だなと。
クリエイティブというのは一般には「これまにでなかった独自ワールド」的な意味で使われるけど
この本の場合は「言葉をここまで正確に使えばなんだちゃんとシンプルに表現できるのね気づかなかった」的なクリエイティブさ。
主婦が日常ではっとアイディアが閃いて特許とって商品作ったら皆あらなんで気づかなかったのかしら確かにそうよねこれ的なノリだろうか。ん、ちと違うか(笑
ファンタジックな表現になりがちなテーマを、スッキリと表現してるところが美しいと思いマス。

結局、超簡約の感想じゃなくなった。。

読めワカな本。

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続 恐怖がもたらすもの  








しつこく、恐怖シリーズその3^^

恐怖は、中心に願望を引き寄せ「よう」とする強い運動を産むわけだが。
それはそれはしんどい感じを生む。
有無をいわさず生む。
うーむ。。しつこいっ。

幻想の時空(世界)に閉じるから。

もちろん、何も好き好んで幻想の時空に閉じてしまうわけじゃない。
恐怖が作動すると間違いなく自ずとそうなってしまうのだ。

恐怖は「自分」と「敵」という対立を生む。
「自分」と「敵」という距離の誕生。心理的な距離の誕生。

「敵」もあれば、その反対の「味方」というか安堵というか
そーいう妄想も生んじゃうから、そこにも距離が誕生する。

自分と敵と味方という三つ巴がおりなす空間。

自分はいつかは敵を解消して安堵を得るのだ、という
心理的な時間も生んじゃう。

幻想の時空間(世界)のできあがり~。

ところで、恐怖とは無関係に現象している日常の時空というのもあるが。
花とか空とか海とか人とか社会とか宇宙空間とかね。
これも、知覚により誘導的に認識させられている世界「感」と感じる。
身体を中心とした広大な3次元空間のように感じられるが、よくよく見ればどこをとっても距離(奥行き)などない。
「距離(奥行き)」を想起させるような知覚が起きているだけ。

それで、面倒なのは「恐怖時空」と「日常時空(とでも呼んでみる)」がごっちゃになっているときだ。

当然、恐怖の中にあるときはごっちゃになっていることには全く気づけてないわけで
「恐怖時空」だけが現実と実感している。
そんで日常時空との間で起こる摩擦の痛みがますます恐怖を高め「恐怖時空」を頑なにする。

「恐怖時空」は幻想のくせに固い(笑
そのくせ激しくせわしない。

身体も影響を受けて緊張し収縮し固くなる。
同時に精神的にも滞る。
そんでますます苦しくなり、恐怖する。
なのに閉ざされた「恐怖時空」の中で安堵を得ようとしてもがき続ける。。
ううう。。しんど。。

「自分」がもがいてるんじゃない。
エネルギーが、だ。
愛がもがいてる~とか書くと。オシャレ?

そりゃー閉塞するし爆発もするがな。
痛みも出るがな。身体もやられるがな。

逆に、この閉塞がずっーと続かないところが、日常時空の強さだね^^
あたりまえだけどね。
ちっぽけで固くなった断片は、どう抵抗しても、粛々淡々パワフルに起き続ける日常時空には逆らえず
消えてゆく。
恐怖時空にとっては、最大の恐怖だけれど。
日常時空も壊れるけどね。

形あるものは壊れるというのは
全くその通りだなと。



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恐怖がもたらすもの 








恐怖シリーズその2。

精神が恐怖につき動かされている時は、実際に起きていることを歪曲して認識する。思い誤る。

こうなってほしくない、という恐れの妄想が中心にあるため
日常で起こることを、恐妄を根拠づける要素として勝手に物語を紡ぎ、それが事実であると勘違いする。

例えば「嫌われたくない」という恐れがあった場合、ある人がたまたま機嫌が悪く、無愛想な態度をとったりすると
「私は嫌われている」という物語を即座に紡ぎ出し、さらに恐怖が高まる。
あるいは「この人なしでは生きていけない」という恐れがあった場合、たまたま相手の機嫌が悪く、無愛想な態度をとったりすると
「嫌われている、別れを切りだされたらどうしよう」という物語を即座に紡ぎ出し、さらに恐怖が高まる。
あるいは「ゴキブリに出会いたくない」という恐れがあった場合、たまたま冷蔵庫の下の方で機嫌の悪いチビクワガタに出会った場合、ギャーとなる。

恐怖は、起きてもないことを、あたかも実際に起きているかのように誤認し、さらに恐怖を高め
エネルギーを無駄に消耗するという、なんともセツナイことを引き起こす。

そりゃー人間だもの、あるよねー。
ひとつやふたつくらい誰でもあるわな。
はい。

が、何度もくりかえされると、つまり、どこかで事実をあるがままに理解することなく、恐怖が拡大し続けるとどうなるか。
恐怖の妄想が、様々な(誤認の)根拠や記憶に支えられ、ますます現実味を帯びてきて、最後は「確信」に至るのである。


「敵」のせいだと。


その敵は、誤認された誰かかもしれないし、機嫌の悪いチビクワガタかもしれない。
あるいは、こんなにも恐怖してしまうなさけない「私」かもしれない。
あるいは、この「恐怖心」そのものかもしれない。
あるいは、敵が社会となった場合、たまたま通りかかったバカップルかもしれない。。
あるいは。。もおえーわ。

つまり、対立構造が生まれる。

恐怖する「自分」と、恐怖を与える「何か」の対立。

で、おのずと「逆の対立」も生まれる。

恐怖する「自分」と、それを解消してくれる「何か」の対立。

まあ、この場合は「対立」というよりも「関係」くらいのほうがいいのだろうけど
その本質には恐怖があるため、何かのひょうしにいつでも対立構造に変化しうる、という意味であえて。
いずれ同じ作用の違う現れ。

ちなみに、「恐怖する自分」には、なかなか気づけない。
プライドが高い気質の場合は特に。そんなありようは認められないのである。
そうなると、何に恐怖しているかさえ無自覚となり
実際には、もやっとした不安や不満を解消してくれる「何か」、あるいは夢や理想、願望という
ポジティブな文脈で現れることが多い。

覚醒や悟りの追求、自我の克服もこの文脈であり、快楽や娯楽への執着もそうだろう。
結婚や出世、他者の承認(自己顕示)、お金などを強烈に求める場合もこの文脈であろう。
ポジティブシンキングで願望達成を図ろうとするのも、正にこれ。
恐怖を克服しようとする一見まっとうそうに感じる取組さえ、これ。

いずれ、恐怖は、中心に願望を引き寄せ「よう」とする強い運動を産む。




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