青雀の散歩未知

未知なる日常のあれこれ綴り。

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ジョーイ・ロットの本  



このブログにもリンクさせていただいている「resonanz360」のヒロさんから
なんと!ヒロさんが翻訳された発売前のジョーイ・ロット氏の本『これのこと』をいただいた。
ヒロさんありがとう!

が、しかーし
先月いただいたのだが、年度末の仕事が忙しく、まだ「流し」でしか読めてない。。
(ヒロさんごめんなさい。。)

仕事が落ち着いたら再度じっくり読みこんで感想を書きたいと思っている。
できれば発売開始となる4月10日までには。。

ジョーイ氏の文章は、以前からヒロさんのブログにたびたびアップされていて
僕的にはとても親近感というか距離がない感じで読めていたので、今回の本もほとんど違和感がない感じ。
ちょっと僕の感覚と似ているところがあるので余計にするっと読めてしまうのかもしれない。
まあ、感想はあらためて後日書きたいと思う。

以前、僕の連れがヒロさんのブログのジョーイの記事を読んで関心を示していたので
彼女にジョーイの本を渡したら、あっという間に読み終えたみたい(笑
それで先に感想を書いてもらったので、以下掲載。

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活字が苦手で、彼からクリシュナムルティーの本とか、いろいろ手渡されてきたけれど・・
読めた本って少ない。大抵は読んでいるうちに、言葉が入らなくなってしまったり・・
思考ってなんだっけ。観念って何だっけ。概念って何だっけ。
記憶って何だっけ。幻想と現実ってなんだっけ。
感覚ってなんだっけ。全部の言葉がわからなくなってきてそれ以上入らなくなる。

でもジョーイロットの本は読めてしまった。
食べ心地がいい。
あっさりテースト。
どこかほんのわずかえぐみがあるけれど。
でも気持ちがいい。
だから、本棚の一番見えるところに置いて
タイトルをいつも眺めていたいなと思わせるものがある。

「気持ちがいい」「軽い」「リラックス」

本・言葉はどうしても「頭の理解」の機能と密接なのに・・
「頭の理解」は幻想ということを頭に理解させるみたいな・・本の限界を思う。
頭に理解させるのじゃなく、食べられる本とか出ないかなーー
この本が食べられる本だったら
サクッとして。すっと消えて。食べたあと重くならず、いい感じになる。
一部飴っぽいところがあって、少し舐め溶かすところもある。
それもまたあとを引く。
という感じ。

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という感じだそうです。。
感想になっているのかどうか、だけど。

本嫌いの彼女が、めずらしく「この本は後で読み直したくなる」と言っていた。
そうだよねー、と思う^^

僕もやっと明日以降少し落ち着けるので、じっくり読み直したいと思う。






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趣味 





フジフイルム x-m1




”普通の人”の場合はこうで、理解した人、目覚めた人、悟った人の場合はこうで。。

という表現をずーっとしている人ってーのは

そーいう比較に関心が湧き続けてるってことなんだろーなー。

趣味の類なんだろうなー。

でも、これ系の趣味人って、趣味とは自覚してない場合が多いんだよなー。





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機能への八つ当たり? 









仕事をしている人の姿って美しいなあといつも感じる。

電線工事をしている作業員、厨房で料理をしている調理師、夢中で絵を描いている子供たち

人がなにかに集中し作業をしているとき、人は周囲と一体になっていて場全体が流れている。

逆に、目前の出来事と連動せず、思いの世界に没入しているとき、その人は周囲と切り離されたエネルギーの塊のように見え、重苦しく、あまり美しさを感じない。

物体や動物が絵になるのは、そのまま、その場のエネルギーとして存在しているからなんだろうな。

ところで、人間が「自分」という概念を使って日常生活するのは、エネルギー的な機能として流れているのだけれど
自己探求モードにあるときは、分離とか、思考とかのラベルで自分という個人感覚に否定的になりがちだけれども
それって、小さい子供が不注意でドアノブに頭をぶつけ、頭に来て「こんなところにこれがあるせいだ!」とドアノブにけちをつけてるようなもんだなと、今更ながら感じる。
争いとか戦争は、みな分離という幻想が原因だー、とか
目覚めていない分離と同化した普通の人々や世間が狂っているせいだとか
かなり単純な二元的モデルで悪者を想像してわめくのも、同じ類いだと感じる。
一方で、人から愛情を受けたり、美味しいものを食べて喜んでるのにね。
稚拙な八つ当たり。









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こだわり 







壁


こだわらない、というこだわり

何もしない、というこだわり

いずれ、何者かになろうとするこだわり?

こだわりがこだわりを笑うの図







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イレギュラー 








ここのところというか、昨年から体調が不安定なかんじ。
不安定と言えば、日常で起こる出来事というのは、大抵イレギュラーの連続なわけで
頭で望むような状態というのを打ち砕くかのように進むわけで
それがなんとも不思議で面白くて生の醍醐味なのだと感じている。

このあいだたまたまヤフーニュースをみていたら俳優の伊藤四朗さんの記事があった。
芸能界の重鎮・伊東四朗が語る、「逆境を越えた生き方」

ここ20年くらい、ほとんどテレビは見ないクチなのだが、若いころ、お笑い番組やドラマに出ていた伊藤四朗さんを見て
なんとも味のある人だなぁと好感を持っていた。
で、上の記事を読んで、ははーんと納得。

イレギュラーの効用。

と言うのも変な言い方だが。
一つ言えるのは、今までになかった回路が開くというのか、解放されるというか、なにか潜在的に滞っていたモノが、イレギュラーへの対処を通じて解き放たれ、それで本来の落ち着きが現れるというのか、そんな感じとなる場合が多い。
無意識の滞りを揺さぶって破壊して、そんで風通りがよくなるような感じか。
エネルギー的なマッサージ効果。
そして、これまで気づかなかったいろいろな発見がある。これが一番大きいかな。

イレギュラーな出来事に対処することは本当に大変なことではあるが。
そりゃ未知の出来事なわけだから。過去の経験を使ってみたり、想像力を使ってみたり、無になってみたりと
ありとあらゆる試行錯誤の中で進んでいく。
まじめに対処してれば。
そんで、結果がうまくいくかどうかは全くわからんのだけど

で、ふまじめ、というのは、避けられない目前のイレギュラーを無理に避けようとしたり、回避しようとしたり、変な言いわけで自己幻惑してみたり、幻想に逃げ込んだりと、つまり目前の出来ごとに向き合ってない状態。
この状態が良いとか悪いというのではなく、逃げていれば、ほぼ間違いなく同じ状況が再びふりかかってくるし、しかももっと大変な状況となってますますエネルギーが膠着し辛い状況になっていくのにどこまで逃げるんすか?つー。。

で、伊藤四朗さんは、手を抜かず、日々の出来事に対処し続けてきたんだろうなぁと。
そこからあの何とも言えぬ味わいが発せられているのだろうなーと。
そんなことを感じた。

とりとめもなく書いてみますた。。


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