青雀の散歩未知

未知なる日常のあれこれ綴り。

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functional beauty 






Kyocera WX04K(DIGNO)



乙女椿という花らしい。椿にもいろいろあるのだな。
乙女かどうかは別として、この花はたしかに可愛らしい。。

目前のこと、やるべきこと、やるはめになっていること、を
淡々とやっている姿というのは、美しいなぁと感じる。

次々と起きてくることは、ある意味、現象の機能そのものとも言え
この「機能そのもの」として流れている姿は、
それがなんであれ、美しいなぁと思う。




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切れ味の良さ 






Kyocera WX04K(DIGNO)




高木悠鼓さんのブログ、あいかわらず切れ味抜群ですねー。
~「すべては幻想」という観念の魔境 ~ シンプル道の日々 






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概念の実体視がもたらすもの 






Kyocera WX04K(DIGNO)


多くの精神的苦痛は、疾患的なものでない限り
「起きていることが正確に見えてないこと」で起こるように感じる。

「起きていることが正確に見えている」ということは、文字通りであり
先入観に影響されることなく、起きていることそのままであることの自覚(という表現も違和感があるけれど)であり
ある思想的な枠組みや、理想や、逃避的なエネルギーを基点にした反応が起きてない状態である。

自分、他者、社会、会社、制度、経済、思想、宗教。。
ありとあらゆる概念が、まるで実体であるかのごとく錯覚しているとき
(もちろん概念は、日常の機能として起きており使用されているものであるが)
そして、それらに対しての批判や(あるいは肯定も)が強くあるとき
その概念が、まるで概念であることそれ自体に苦しむかのごとく、もがき、動き回る。

敵対する概念(自分、他者、社会、会社、制度、経済、思想、宗教。。)が、単なる概念であると理解されるとき
これまで絶対視していた現実が、実は自身の内面で起こっている断片的な出来事であるということが理解されるとき
根源的な精神的苦痛は、自ら消失する。


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愉しみなこと 






Kyocera WX04K(DIGNO)



今度の日曜は、パートナーと、生徒さんたちの演奏会。
で、僕は撮影担当。
近頃、モノや風景だけでなく、人物も撮りたいなーと思っていて
タイムリーにその機会がめぐってきたわけです。

そして、今回の撮影は、昨年暮れに買ったF2.8通しのsigmaの望遠ズーム
通称"ナナニッパ(70-200mmF2.8)"のデビュー戦^^
サブのEOS20Dには28mm F1.8の単焦点を付け、さらにフィルムeosにはISO800入れーの50mmF1.8を付けーので
三刀流で勝負!
つーか、本当に使いこなせるのか??(;^_^

で、問題発覚。

これまで一度にこんだけの機材数で撮影を行ったことがなかったため
今まで使っていた華奢なショルダーバックでは機材を持ち運び出来ないという。。
まさか、風呂敷に包んで持っていくわけにはいかず。。
いよいよ、これまでずっと見送ってきた
ま・と・も・なカメラバックを買わねばだなーと。。

うう、フトコロがますます厳しくなりマス。。
でも、機材をちゃんと保護しながら運べるバックがいらっしゃるのは
トテモウレシイ。。(*´v`*)

撮った写真の掲載許可が出たら
aosuzume's photo'sにアップ予定。。




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気持ちよいJAZZ 






Kyocera WX04K(DIGNO)


こんなに寒いのに
秋葉原の駅近くで夜にJAZZを演奏している方々が。。

場に広がり、自然なグルーブのある心地よい演奏でした。

しかしこの寒さでよく指が動くなぁと
妙なところに感心してしまった。



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在る? 






Kyocera WX04K(DIGNO)



「在る」というのは、不思議な言葉。


「メガネがないんだよ。メガネ見なかった?」

ある日、帰宅したはずの上司が困った顔で事務所に戻ってきました。
事務所にいた部下たちは唖然。。

「あのー。。部長メガネかけてますけど。。」
「ああ!ここにあったのか。。どうりで見つけられないわけだ。あははは...」

マンガのような本当にあった出来事(笑

別にこれはスピ系的にいう「本当の自分の発見」を示唆する表現ではないし
気づきそのものである自分が気づき自体を見たり感じたりすることはできない。。
の比喩でもない。

日常生活で、特定の物事や個物の存在の有無を、他者に伝えたり、他者から伝えられたりするときに
「ある」「ない」という言葉を使う。
つまり全体ではない「断片の物事」に関してのみ有効な言葉。

断片ではない現象全体が「ある」、いまここ全体が「存在している」と表現するのは正確な使い方ではない。
だって在ったり無かったりするものではないでしょう。「これ」は。

在るとか無いとかの表現とは無関係に「これ」です。

生まれては消えてゆく現象とは違い、本質(実在)とは永遠不滅の存在である
というよくある表現も、
この刻刻の未知なる「これ」を、何か絶対的に安全で確信できる「聖なる基盤」があってのことだと解釈し安心したいための自己催眠です。

何がどうであろうと「これ」です。

「これ」が「これ」自体で「これ」です。

泣いても笑っても不満でも愉しくて神聖でもおぞましくても空っぽでも満ちていても平和でも戦争でも葛藤でも、
泣いて、笑って、不満で、愉しく、神聖で、おぞましくて、空っぽで、満ちていて、平和で、戦争で、葛藤です。

「これ」は個人的に得られたり失ったり制御できるものではなく
「これ」は「気づき」と「見かけ・顕れ」という2つに分解できるものでもなく

単に「これ」です。

「これ」などと書いても書かなくても

「これ」です。

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親父 





2014022803.jpg
Kyocera WX04K(DIGNO)


郷里には、今年で77になる親父がいる。
ありがたいことに年齢のわりにはすこぶる健康で、シルバーセンターの仕事や近所の人たちの日曜大工に精を出し
元気に過ごしているようだ。

昔から自分で作ったり修理するのが大好きな「モノづくり系」。
自宅の車庫を廃材を使って一人で建築したり、車のエンジンやミッションを載せ替えたりするくらい。。

そんな親父が次なる挑戦をはじめたらしい(笑
革縫製用のミシンを買って、革細工に励んでいるとのこと。
田舎は革の端切れが手に入れにくいらしく、いろいろ探しているとのこと。
僕の職場の近くには革問屋がたくさんあって、激安の革の端切れがいつも店頭に並んでいるから
今度買って送ろうと思う。

僕が若いころは、親父の頑固で臆病でコミュニケーションべたなところが嫌で
あまりまともに話した記憶がないのだけれど
年老いてもやれることを精いっぱいやって元気に生きている親父のことを想うと
幸せな気持ちでいっぱいになる。

若いころ、あれだけ親父のことを批判していたくせに
なぜか今僕がやっている写真や、車好きなところは、実は親父の趣味でもあったりする不思議。
趣味も遺伝するのかな。


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