青雀の散歩未知

未知なる日常のあれこれ綴り。

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摂取過多のリスク 







またまた摂取過多に関連して。

マーケティングというのは、簡単にいえば「洗脳」である。
人々のニーズを的確にとらえ、とか説明しているけれど、実はニーズそのものを意図的に喚起させコントロールするしくみでもある。

注意を惹くような情報を発信し、人の関心を喚起し、欲望の域に関心が強まるまで刺激をし、その記憶を定着させ、最終的に購買というアクションを起こさせる心理的手法。
テレビやネットで発信されている商業系のコンテンツ、宣伝は、このほとんどが上記のセオリーに準じているといってもいい。
つまり自分の意志で好みを決定し、購買行動しているつもりでも、実は普段触れている情報に洗脳されているだけで、心理運動を無意識のうちに情報でコントロールされている場合が多いのである。

マスメディアが流すニュースだって、そうである。
世界や日本で起きている様々な出来事の中から、ほんの一部を選択して報道しているのが実際。
例えば、政治的なコントロールを目的に、発信する情報で人々の心理を満心させたり不安にさせたりというのは朝飯前なのである。

精神世界系の情報もリスキーである。
「自分を変えたい」「世界を変えたい」という根源的な人間の欲求(欲望)を対象にしているため、尽きないマーケットであり、実は商売的には大変美味しいマーケットである。
情報の仕入れにはお金はかからないし、現在抱えている問題をすべて解決できそうな魅力的な世界観をうまく表現できて、それが達成できそうな手法を仕込めれば、あっというまにビジネスにできるのである。
美味しい言葉に魅せられ、最終的には瞑想セミナーで高額を払っている場合もそう少なくはないでしょうね。
だいたい高いお金を取るしくみのあるところは、目的は単純にそれです。最初はそうじゃなかったにしてもね。

テレビからネットの時代に入り、ユーザーが選択的に情報を選べるようになったので、昔に比べれば洗脳されにくい環境とも言えるが、実はそうでもないかもよ。
ネット上にもたくさんのトラップがあるし、何より選択的に情報を検索しているつもりのその欲求自体がすでに洗脳された欲望に起因しているかもしれないし、情報発信側では履歴などでターゲットユーザーを明確に把握できるため、ターゲットを特定したプッシュ型の情報発信で効率的に洗脳できるのである。

もちろん、そうでない情報だってたくさんある。
この情報過多の時代、発信されるものは玉石混淆。

だからこそ、情報を疑うことも必要だし
情報の摂取自体を抑えることも必要だと思うのだ。

情報にどっぷり同化していては直感が鈍ると思う。



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ドラマー 








もうドラムをプレイしなくなってから20年以上経っていて
ずーっと音楽も聴いてなかったのだけれど、ここのところなぜだかめちゃYoutubeで視聴してるな。。

上の3人のドラマーは、ステージの向かって左から順にヴィニー・カリウタ、スティーヴ・ガッド、 デイブ・ウェックル。
当時は世界的にも有名なドラマーで(今でもだろうけど)僕がドラムをやっていたころは憧れの人たちだった。

3人ともとても素晴らしいドラマーなのだけれど、こうして3人を比較してしまうと
スティーブガット(真中の髭もじゃの小柄なおじさん)の凄味が浮き彫りになるなー。。
1音1音の雑味の無さとパワー、間の活かし方が突き抜けてる。リズムは手数だけではないことを全精力で表現している。
やっぱりこのおっさんタダものじゃない(笑

そーいえば、高校の頃に渡辺貞夫のコンサートを観に行ったとき、演奏終了後に会場からホテルにもどる途中のスティーブガットに会って握手を求めたのだけれど完全に無視されて悲しかった記憶がよみがえってきた(笑
でもそのあと偶然にも渡辺貞夫とリチャードティーが乗ったタクシーに出くわしたので握手を求めたら、超フレンドリーに握手してくれたっけ。

なぜだか最近は昔の記憶がどんどん湧いてくる回想モード。
もうすぐ僕は逝っちゃうのだろうか(爆





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依存過多 





KIMG0381.jpg



先の記事に摂取過多についてアップしたが、それに関連して。

「依存過多」は「摂取過多」の心理的表現ともいえる。
特定の対象に精神が異常集中する心理的な癖というか
同じパターンを繰り返す自動的なエネルギー回路とでもいうべきか。
これは執着とも呼べるのかな。

7~8年前に自己探求モードだったころに読んだ精神世界系の本に書いてあったのは
条件付け、とかトラウマとか、そんな表現だったと思う。
それでこの「条件付け」から解放されることが真の自由の実現だとか。。
そのためにはその核心にある「私」「自我(エゴ)」という悪玉親分を克服しなければならんとか(笑
これに夢中になっている時は「自我(エゴ)からの解放」→「真の自由」という前提の文脈自体が「条件付け」であることを理解できないわけだが。。

それはさておき、ここで書こうと思ったことは「依存過多」が引き起こすものについて。

まずはじめに当然だが依存対象を摂取し続ける。あるいは摂取しようと求め続ける。
それで依存対象が得られている時、喜び、充実感、安堵が感じられ
依存対象が得られていないと時には不安や恐怖、閉塞感、不安定感が湧きあがる。
また、依存対象が得られているかいないかに関わらず、閉塞的な回路のなかに閉じ込められたエネルギーがのたうちまわることによる興奮と疲労感は強弱の違いはあれど、ずっと継続する感覚だと思う。
それともうひとつ。
興奮や疲労が限界にくると、キレル。
キレるというのは、エネルギーの暴走、爆発のこと。
意思に関わらず、スイッチが入り自動的に他者への暴力や破壊として現象化したり、自分の心身に対する極端な抑圧や破壊として表れる。
いずれ「依存過多」はエネルギーの滞りと圧縮を生じさせ、結果爆発を招く、招かざる現象だな。

で、多かれ少なかれ、程度の差はあれ、人間にはなんらかの依存過多が起きているのが実際だと思う。
特に女性よりも男性に現れることが多い気もするな。仕事や恋愛などで。
僕の場合は恋愛関係で「依存過多」が起動しやすい。エネルギー的なキャパシティが小さいので暴力的な爆発までエネルギーが圧縮してしまうことはまずないが。
ストーカーなどの異常行動は、まさに極度の依存過多によるエネルギーの暴走・爆発そのものだろうな。
ああゆう人はきっとエネルギーの圧力耐性が異常に高いに違いない。。

さてそれで何を言おうとしているのかわからなくなってきたぞ(笑
こういうときは、余談を書いてみるのだ。

しかしなんですね。男女間で起こる反応というのはなんなんでしょうね。
引きあったり、それたりの繰り返し。
どんなに偉そうで精神が成熟したようなオッサンでも、好みの女性が接近すれば
ぽわんぽわん状態に一瞬でシフトしますから(爆
また女性はこの男性のアホさ加減を意識的にも無意識的にも知っていて、男性心理を巧みにコントロールするしたたかさがあるわけで(笑
まあ逆のケースもあるのだろうけど、基本的に男性の方がアホだと思いマス。あっという間に女性にもってかれる。

何かの本で読んだ記憶だけれども、男性は女性からしかエネルギーを摂取できない脆弱な構造になってるが、女性はエネルギーそのものなので男性に依存しなくとも基本的に元気でいられるし安定していると。
これは日常の実感としてわかる気がする。
僕のパートナーが言うに「母乳は女性しか出ないもんね。生まれきた子供は女性なしにはいきられない」と。
確かに基本的な生態構造としてこういう事実があるしな。
つーか、そもそも子供は女性からしか生まれないしなー。
次々と現象を生み出し続ける宇宙と「女性」を同質な存在としてみたてたくなるような気持ちもわからんでもない。

実際、女性の強さというかエネルギー量は男性なんかと比較にならないくらい圧倒的だし。
固まった理屈に捉われることが少ないし、淡々と現実的なことをこなすし、いざというときのスカッとした決断、
かと思いきや広大な受容性(母性)で弱いものを包み込む宇宙的?な側面もあったりで、まあ限定感ありありの男性にしてみれば直感的すぎて予測がつかないわ、魅了されるわ、混乱するわのてんやわんやになるわけで。
表面的には男性社会とかなんとか言われているけれど、根本的には女性に翻弄され続けている儚き男性の屁の突っ張り。。
なので男性の方が「依存過多」になりやすいのかな。

つーか「男性」とか一般化して濁してるけど
これ俺自身のことじゃないか(爆

女性なしでは生きられないっつー心の叫びとか?

これが書きたかったことかよ。。トホホ

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Septemberいろいろ 





「センプテンバー」のオリジナル。
アースウィンド&ファイアーは今でも大好きだが、大学の頃はめっちゃ聴き込んでたな。
ベースのヴァーダイン・ホワイト。
このおじさんのハイテンションっぷりは下手な邪気払いよりも効果がある(笑





デビッドフォスターが少年のように興奮し喜んでいる様子が見ていて愉しい^^
ベースのヴァーダイン・ホワイト。もう還暦を過ぎているのに、変わらないハイテンションっぷりに脱帽。




へー、こういうカバーのされかたもあるのだね。




音楽って、プレイしているひとも聴いている人も無邪気にさせるパワーがあるよなー。
大の大人が、ぷっくぷくの笑顔になって喜んでいる姿をみるとこっちもぷっくぷくになるね(笑

では最後にEW&Fのハイテンションマスター ヴァーダイン・ホワイトさんの切り抜きPHOTO。
魔除けにどうぞ(笑


02_201407191010188cc.jpg





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摂取過多 










最近感じるのは、情報にせよ食事にせよ、摂取しすぎというのは心身のバランスを崩すのではないかということ。
もちろん個々の気質、体質にあった摂取量というのは様々なのだろうけれど。


我々は、何かの問題、不満、欲求を解決するとき、それを満たすために「新たに何かを摂取する必要がある」と考える。
摂取しなければ、この問題、不満、欲求は解決しないと。
簡単なところでは、病気の時は薬が必要、腹が減れば飯が必要、生きることに不満があれば「生き方の処方箋」(世界観等)が必要。。


断捨離、デトックスというものが流行って久しいけれど(ん?もう流行ってない?)
これは一理あるというか、あらゆるものが摂取過多の現代では、時代の自然な排出作用の一つなのではないかとも感じる。


食も、情報も、摂取し過ぎが原因で問題を作りだしているのに、問題を解決するのにさらに新たなものを摂取し、(あるいは同じものを摂取し続け)
実は問題を解決するどころかますます問題を根深くしているという混乱もあると思う。
吸ってばかりいて吐くのを忘れているような混乱。
食べて(溜めて)ばかりいてしっかり排出するのを忘れているような混乱。


体調を崩して、回復する過程で感じたこと。


ところで、妄想や心理的な反応というのも、一つの排出作用ではないかと感じることもある。
放っておけば排出されて落ち着く。
下手にかまったり捉われたりすると、余計にややこしくなる。
言葉が悪いけど、自分で出した便をまた食べるような混乱があるかも?

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声(ひびき)のチカラ



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タウン 











デカビタシティ




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