青雀の散歩未知

未知なる日常のあれこれ綴り。

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恐怖がもたらすもの 








恐怖シリーズその2。

精神が恐怖につき動かされている時は、実際に起きていることを歪曲して認識する。思い誤る。

こうなってほしくない、という恐れの妄想が中心にあるため
日常で起こることを、恐妄を根拠づける要素として勝手に物語を紡ぎ、それが事実であると勘違いする。

例えば「嫌われたくない」という恐れがあった場合、ある人がたまたま機嫌が悪く、無愛想な態度をとったりすると
「私は嫌われている」という物語を即座に紡ぎ出し、さらに恐怖が高まる。
あるいは「この人なしでは生きていけない」という恐れがあった場合、たまたま相手の機嫌が悪く、無愛想な態度をとったりすると
「嫌われている、別れを切りだされたらどうしよう」という物語を即座に紡ぎ出し、さらに恐怖が高まる。
あるいは「ゴキブリに出会いたくない」という恐れがあった場合、たまたま冷蔵庫の下の方で機嫌の悪いチビクワガタに出会った場合、ギャーとなる。

恐怖は、起きてもないことを、あたかも実際に起きているかのように誤認し、さらに恐怖を高め
エネルギーを無駄に消耗するという、なんともセツナイことを引き起こす。

そりゃー人間だもの、あるよねー。
ひとつやふたつくらい誰でもあるわな。
はい。

が、何度もくりかえされると、つまり、どこかで事実をあるがままに理解することなく、恐怖が拡大し続けるとどうなるか。
恐怖の妄想が、様々な(誤認の)根拠や記憶に支えられ、ますます現実味を帯びてきて、最後は「確信」に至るのである。


「敵」のせいだと。


その敵は、誤認された誰かかもしれないし、機嫌の悪いチビクワガタかもしれない。
あるいは、こんなにも恐怖してしまうなさけない「私」かもしれない。
あるいは、この「恐怖心」そのものかもしれない。
あるいは、敵が社会となった場合、たまたま通りかかったバカップルかもしれない。。
あるいは。。もおえーわ。

つまり、対立構造が生まれる。

恐怖する「自分」と、恐怖を与える「何か」の対立。

で、おのずと「逆の対立」も生まれる。

恐怖する「自分」と、それを解消してくれる「何か」の対立。

まあ、この場合は「対立」というよりも「関係」くらいのほうがいいのだろうけど
その本質には恐怖があるため、何かのひょうしにいつでも対立構造に変化しうる、という意味であえて。
いずれ同じ作用の違う現れ。

ちなみに、「恐怖する自分」には、なかなか気づけない。
プライドが高い気質の場合は特に。そんなありようは認められないのである。
そうなると、何に恐怖しているかさえ無自覚となり
実際には、もやっとした不安や不満を解消してくれる「何か」、あるいは夢や理想、願望という
ポジティブな文脈で現れることが多い。

覚醒や悟りの追求、自我の克服もこの文脈であり、快楽や娯楽への執着もそうだろう。
結婚や出世、他者の承認(自己顕示)、お金などを強烈に求める場合もこの文脈であろう。
ポジティブシンキングで願望達成を図ろうとするのも、正にこれ。
恐怖を克服しようとする一見まっとうそうに感じる取組さえ、これ。

いずれ、恐怖は、中心に願望を引き寄せ「よう」とする強い運動を産む。




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