青雀の散歩未知

未知なる日常のあれこれ綴り。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
trackback: -- | 本文: -- | edit

機能への八つ当たり? 









仕事をしている人の姿って美しいなあといつも感じる。

電線工事をしている作業員、厨房で料理をしている調理師、夢中で絵を描いている子供たち

人がなにかに集中し作業をしているとき、人は周囲と一体になっていて場全体が流れている。

逆に、目前の出来事と連動せず、思いの世界に没入しているとき、その人は周囲と切り離されたエネルギーの塊のように見え、重苦しく、あまり美しさを感じない。

物体や動物が絵になるのは、そのまま、その場のエネルギーとして存在しているからなんだろうな。

ところで、人間が「自分」という概念を使って日常生活するのは、エネルギー的な機能として流れているのだけれど
自己探求モードにあるときは、分離とか、思考とかのラベルで自分という個人感覚に否定的になりがちだけれども
それって、小さい子供が不注意でドアノブに頭をぶつけ、頭に来て「こんなところにこれがあるせいだ!」とドアノブにけちをつけてるようなもんだなと、今更ながら感じる。
争いとか戦争は、みな分離という幻想が原因だー、とか
目覚めていない分離と同化した普通の人々や世間が狂っているせいだとか
かなり単純な二元的モデルで悪者を想像してわめくのも、同じ類いだと感じる。
一方で、人から愛情を受けたり、美味しいものを食べて喜んでるのにね。
稚拙な八つ当たり。









thread: にちじょー | janre:  |  trackback: -- | 本文: 0 | edit

コメント

コメントの投稿

Secret

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。