青雀の散歩未知

未知なる日常のあれこれ綴り。

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究極のドンデン返しはなんだろう。。

俺は俺ではなかったのか、と気づくことではないか。

何かをする自分、している自分という、

この自分(私)という、何かと相対する中心がそもそも存在していなかったという事実に出会うことではないだろうか。

それは一般観念からすれば「死」のようなものであり

自分が死んでいるのではなく、全てが死んでいるのであり

実際的には、全てが解放されていて、全てが生きている。

はじまりもおわりもなく、刻々とそうであることへの気づき。


何が 気づくのか。


気づきそれ自身が気づくのである。


小さな自分が気づくのではなく、小さな自分というものが、錯覚であることに気づくのである。

それでも、小さな自分は生きられていて、様々な活動をし、様々な体験が起きているのである。


この人間と呼ばれる活動体も、青い空も、お月様も、あらゆるイマジネーションも

様々な感情も、恋愛も、戦争も、

すべては、気づきという未知なる場の変化(へんげ)そのものであり

それ自体がそれ自体の変化(へんげ)を体験しているとも言える。







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