青雀の散歩未知

未知なる日常のあれこれ綴り。

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在る? 






Kyocera WX04K(DIGNO)



「在る」というのは、不思議な言葉。


「メガネがないんだよ。メガネ見なかった?」

ある日、帰宅したはずの上司が困った顔で事務所に戻ってきました。
事務所にいた部下たちは唖然。。

「あのー。。部長メガネかけてますけど。。」
「ああ!ここにあったのか。。どうりで見つけられないわけだ。あははは...」

マンガのような本当にあった出来事(笑

別にこれはスピ系的にいう「本当の自分の発見」を示唆する表現ではないし
気づきそのものである自分が気づき自体を見たり感じたりすることはできない。。
の比喩でもない。

日常生活で、特定の物事や個物の存在の有無を、他者に伝えたり、他者から伝えられたりするときに
「ある」「ない」という言葉を使う。
つまり全体ではない「断片の物事」に関してのみ有効な言葉。

断片ではない現象全体が「ある」、いまここ全体が「存在している」と表現するのは正確な使い方ではない。
だって在ったり無かったりするものではないでしょう。「これ」は。

在るとか無いとかの表現とは無関係に「これ」です。

生まれては消えてゆく現象とは違い、本質(実在)とは永遠不滅の存在である
というよくある表現も、
この刻刻の未知なる「これ」を、何か絶対的に安全で確信できる「聖なる基盤」があってのことだと解釈し安心したいための自己催眠です。

何がどうであろうと「これ」です。

「これ」が「これ」自体で「これ」です。

泣いても笑っても不満でも愉しくて神聖でもおぞましくても空っぽでも満ちていても平和でも戦争でも葛藤でも、
泣いて、笑って、不満で、愉しく、神聖で、おぞましくて、空っぽで、満ちていて、平和で、戦争で、葛藤です。

「これ」は個人的に得られたり失ったり制御できるものではなく
「これ」は「気づき」と「見かけ・顕れ」という2つに分解できるものでもなく

単に「これ」です。

「これ」などと書いても書かなくても

「これ」です。

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