青雀の散歩未知

未知なる日常のあれこれ綴り。

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はじまり・おわり 








仏教の言葉で「諸行無常」というのがある。
現象は固定されることなく常に変化し続ける、という意味だと理解している。
それと「諸法無我」というのもある。
現象している様々な個体には分離独立しているものなどなく、相互に関わりあいながら変化しながら運動していて
個々に自性はない、という意味だったと思う。
これは現象のありようをそのまま端的に表現しているうまい言葉だなぁと感じる。

始まりがあるのもは必ず終わる。
これをサイクルと表現すれば、現象とは無数のサイクルが重なりながら
生まれては消え生まれては消えと続いてゆくありよう。

だから今生じてる一瞬一瞬が大事だとか、今を生きるのだとか
そーゆー格言めいたことには全く関心はなくて
むしろ、人の思いや願いなどとは全く無関係に運動するこのダイナミックな現象の消滅のありよう、すごいエネルギーのありようは一体なんなんだろう、という単純な不思議さがとめどなく湧いてくる。

ひとつ言えるのは、何かを固定しようとすると、そこには大きな抵抗と苦痛と滞りが生じるということかな。
そりゃそうだよね。この途方もないエネルギーを固定することなどできないわけだから。
こと、人と人の関係に関しては顕著だ。
逆にいえば、常に新しい関係が生まれてくるとも言えるのかな。
関わる人が新たに生じてくる場合や、ある人間関係においての関わり方自体が変化する場合や、いろいろだね。
出会いと別れというのは、たいてい後になって、ふと、ああ、そういうことだったのかと気づくことが多い。
リアルタイムではほとんど意味不明。なんでこうなってるのだろうかと。無理して意味づけしても無駄。
後になってもさっぱりわからないものもあるが。



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